新5000円札の肖像となる津田梅子の経歴・功績(津田塾創設)・子孫・朝ドラをまとめます(^^)
紙幣が刷新されることが分かりました!(^^)!
1万円札の肖像変更は36年ぶりとのことですね!
今回、5000円札の肖像の候補とされているのが、津田梅子さん。
いったいどんな方なのか、ご存知ですか?
お札の肖像になるくらいなので、大きな偉業・功績がありますよね!
ということで、女子教育の先駆者と呼ばれる津田梅子津田梅子さんの経歴・功績・子孫を調査しました。
また、津田塾創設や人気だった津田梅子モデルの朝ドラについても調べました(^-^)
【独自】20年ぶりに紙幣刷新の方針 1万円札は渋沢栄一氏 https://t.co/Cnza0fkBQB #FNN
— FNN.jpプライムオンライン (@FNN_News) April 8, 2019
政府は数年後をめどに、1万円などの紙幣の肖像画を変える準備に入った。肖像画の変更は2004年以来となる。政府関係者が9日未明、明らかにした。
1万円札は第一国立銀行や東京証券取引所など多くの企業を設立、経営した実業家、渋沢栄一▽5000円札は津田塾大学の創始者、津田梅子▽1000円札は「近代日本医学の父」として知られ、ペスト菌を発見するなど医学の発展に貢献した北里柴三郎の肖像画を使用することを検討している。
1万円札の肖像は1984年に聖徳太子から福沢諭吉になって以来の変更となる。5000円札の肖像は04年に新渡戸稲造から日本で戦後初めて女性の樋口一葉になり、1000円札の肖像は同年に夏目漱石から野口英世に変わっていた。
紙幣の様式は通貨行政を担当している財務省、発行元の日本銀行、製造元の国立印刷局の3者で協議し、日本銀行法に基づいて財務相が決める。
新紙幣、正直どう?

津田梅子の経歴は?
新五千円札↓(朝ドラ「あさが来た」のモデル)
津田梅子6歳で渡米した頭脳明晰の才女「身分にとらわれない女子教育」は実現したか? https://t.co/UBaSLhknCV #武将ジャパン @bushoojapanさんから pic.twitter.com/Z97bMfTVSb— Manami Ichi (@Manaming1) April 8, 2019
津田梅子
生年月日:1864年12月31日
死 没:1929年8月16日(当時64歳で没)
出身地 :江戸牛込南御徒町(現在の東京都新宿区南町)
津田梅子さんは1864年、元幕臣の父・津田仙の次女として江戸に生まれます。
6歳まで手習いや踊りなどを学んだり、父の農園の手伝いをしながら、育ちます。
6歳でアメリカ留学した津田梅子
明治時代に入ってから、父・津田仙が北海道開拓使次官の黒田清隆と知り合ったことで、津田梅子さんの運命が動き始めます。
なんと、1871年に津田梅子さんは6歳という若さで、岩倉使節団に随行しアメリカ留学しているんです!!!
黒田清隆は女子教育にも関心を持っており、父・津田仙もそれに同調したのが理由だそう。
6歳といえば、わが家の長男も同じ年。
とても1人で留学できるとは思えません(笑)
津田梅子さんも寂しさや不安があったでしょうね。
岩倉遣欧使節とともに海路でアメリカへ向かった、津田梅子さん。
現地では画家のチャールズ・ランマン夫妻の家に預けられました。
チャールズ・ランマン夫妻の元で、津田梅子さんは英語やピアノを習いながら、アメリカでの生活に慣れていったようです。
津田梅子さんは幼かった分、アメリカでの生活や英語の飲み込みも早かったそう。
そのため、日本にいる父親への手紙も英語で書くようになってしまったんだとか。
日本語から遠ざかっていってしまったために、そんな弊害も起きてしまったんですね。
私立女学校で語学などを学ぶ
1873年、8歳の時にフィラデルフィアの独立教会で洗礼を受けた津田梅子さん。
1878年、13歳でコレジエト校を卒業し、私立女学校であるアーチャー・インスティチュートへ進学しました。
ここでは、語学・英文学・自然科学・心理学・芸術を学びます。
1882年、津田梅子さんが17歳の時に、日本から帰国命令が出ました。
ですが、梅子さんは在学中であることを理由に、延長を申請したそうです。
日本に帰国し英語指導や通訳に
その後帰国した津田梅子さんですが、6歳から10年以上もアメリカで過ごした梅子さんにとって、母国である日本は身近なものではなくなっていました。
せっかく身につけた西洋の学問や生活習慣・見識も、日本では女性が活かせる場所はほとんどなかったそうです。
1883年、津田梅子さんが18歳の時に伊藤博文氏と再会。
英語指導や通訳のため雇われました。
伊藤博文から下田歌子を紹介された、津田梅子さん。
下田歌子さんはこの頃、桃夭女塾を開いて数年目でまだまだ人材がほしいところだったそうです。
津田梅子さんは伊藤博文氏や桃夭女塾の生徒たちに英語を教えつつ、歌子さんから日本語を教わります。
こうして、日本人の女性としてスタートを切った津田梅子さん。
こうした梅子さんの努力と意思は伊藤博文氏に認められ、1885年の20歳の時に華族女学校の英語教師にも推薦されています。
再度留学した津田梅子
1888年、24歳の時には留学の際に知り合ったアリス・ベーコンが来日し、再度の留学を勧められて二回目の渡米を決意した津田梅子さん。
父・仙のツテで留学と学費免除を取り付けることができ、再度渡海してリベラル・アーツ・カレッジ、ブリンマー・カレッジで生物学を学んだそうです。
梅子さんは成績もよく、大学からは残って研究を続けるよう勧められたそうです。
ですが、2度目のアメリカ留学で、津田梅子さんは自分がやるべきことを見いだします。
大学残留の誘いを断って、三年で帰国を決意。
帰国後、女子教育の支援を行う
1892年津田梅子さんが27歳の時に帰国。
再び華族女学校に勤め始めます。
1894年、29歳歳の時には明治女学院でも講師を務め、自宅に女学生を預かるなど、女子教育の支援を積極的に行いはじめました。
1898年、33歳の津田梅子さんは女子高等師範学校教授を兼任、アメリカで日本女性の代表として万国婦人クラブ連合大会で挨拶しています。
その際にヘレン・ケラーを訪ね、さらにイギリスに招かれてフローレンス・ナイチンゲールやヨーク大主教とも会見した津田梅子さん。
ますます女子教育の重要性を肌で感じたのではないでしょうか?
女子英学塾(現在の津田塾大学)の設立
1900年、梅子さんが35歳の時に、日本では高等女学校令、私立学校令が公布されました。
これによって、法的に女子教育の足がかりができたようです。
津田梅子さんは、他の学校の講師を退職。
父やアリス・ベーコン、大山らの協力を得て、「女子英学塾」(現在の津田塾大学)を設立しました!
ここで梅子さんは、「身分にとらわれない女子教育」を実現を目指すのです。
専門学校令が公布、塾を社団法人に
それまで、日本での女性への教育というと、教養という面が強かったようです。
でも梅子さんは、女性が社会に出て役に立てるような、実用的な教育を行いました。
その厳しさに逃げ出す学生もいたそうです。
対して、梅子さんたち講師陣も難しい状況に置かれていました。
というのも、スポンサーを求めることを極力避けていたからです。
これは、外部から教育方針への干渉を受けないようにするためでした。
当初梅子さん達は、無償で授業を行うことで資金不足を補っていました。
ですが、学生や教師が増えるとそうもいかなくなってきます。
1903年、津田梅子さんが38歳の時に専門学校令が公布。
これに申請して塾を社団法人としたことで、少しずつ改善されていったようです。
津田梅子の晩年
1919年、津田梅子さんが54歳の時に、健康上の理由で塾長を辞任。
その後は鎌倉の別荘で療養していたそうです。
1929年、梅子さん64歳で脳出血のため死去。
その後、女子英学塾は津田英学塾と改名します。
戦災によって校舎を失いながらも、1948年に津田塾大学として正式に落成・開校。
現在に至ります。
津田梅子の偉業・功績とは?
津田梅子さんの偉業・功績といえば、津田塾大学の設立が挙げられます。
日本における女子教育の先駆者として評価され、今回の紙幣刷新の5000円札の肖像の候補となっています!(^^)!
津田梅子の結婚は?
こうして
こうして
こうすると
あらびっくりかわいい💕(心の声)盛れたからストーリー載っけちゃお♡
引用モンストグルメン#新札#津田梅子 pic.twitter.com/cInBbLusVS— かずな⚔F (@Asuna_Kazu997) April 8, 2019
頭もよく帰国子女と、現代ではモテ要素ありの津田梅子さん。
結婚はしていたんでしょうか?
津田梅子さんは日本での結婚観に嫌気が差し、生涯独身を貫くことを決めていたようです。
とはいえ、あっちこっちから縁談はあったそうですが・・・。
のちに手紙で
「二度と結婚の話はしないでください。話を聞くだけでもうんざりです」
とまで書いている津田梅子さん。
よほどしつこく勧められたのでしょうか?
本当に嫌そうですね(笑)
理由としては、当時の日本の結婚観からすると、梅子さんがアメリカで学んだことが無駄になる可能性が高かったからだったのかもしれません。
津田梅子の子孫は?
結婚せずに生涯独身を貫いた、津田梅子さん。
ということは、津田梅子さんの子孫は現存しないんでしょうか?
津田梅子さんには、直系で血の繋がりのある子孫はいないようです。
しかし、甥(梅子さんの兄弟の息子?)に当たる眞という方を養子にしていました。
そして津田眞さんの娘のあい子さんという方。
なんと西郷隆盛の曾孫である西郷隆晄という方と結婚しているんです!!
津田家×西郷家。
なんともすごい家系ですね!(^^)!
そして津田あい子さんの次男・津田直さんという方。
祖父の祖父の津田眞と養子縁組をしたことで、2000年から津田家の当主になりました。
津田梅子さんには直系の子孫はいませんが、現在でも甥の血縁からの子孫は残っっているようです(^-^)
津田梅子モデルの朝ドラは?
日本における女子教育の先駆者として評価され、津田塾大学大学を創立した、津田梅子さん。
なんと、朝ドラのモデルと噂になっています。
それは2012年上半期の連続テレビ小説『梅ちゃん先生』
名前も「梅子」と同じですし、信ぴょう性は高いですね!
ですが、『梅ちゃん先生』では、ヒロインのモデルは実在しないとされています。
ですがキャリアウーマンの先駆けとして、津田梅子さんが何らかのヒントになったのかもしれませんね!
また、
- ハイカラさん(1982年NHK連続テレビ小説)演:清水泉
- 八重の桜(2013年)演:河北麻友子
- 花燃ゆ(2015年)演:知花くらら
で、津田梅子さんがモデルとなった役が登場しています。
新5千円札 津田梅子の経歴・偉業功績まとめ
新5千円札の肖像の候補に挙がっている、津田梅子さん。
- 6歳でアメリカ留学
- 華族女学校・明治女学院で講師
- 女子英学塾(現在の津田塾大学)の設立
という、偉大な経歴・偉業功績をもった女性でした。
新5千円札が流通するのが楽しみですね♪
【News】
新元号になる
『令和』への新時代へ
紙幣を2024年に刷新する<新札の肖像画>
一万円札→ 渋沢栄一
(資本主義発展の実業家)五千円札→ 津田梅子
(津田塾大創始者)千円札→ 北里柴三郎
(日本近代医学の父)※現在ほとんど流通していない、二千円札は刷新予定なく消滅状態続く pic.twitter.com/kutWmDDmOK
— びぃぜっとぉ (@bz1988921lmlove) April 8, 2019
新紙幣、評判悪い?



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