10月20日放送の『陸海空 地球征服するなんて』
今回の放送は、トルコで有名な日本人TOP10です!(^^)!
そのランキングの中で、全く聞いたことのない方のお名前が。
しかも一般人とのこと。
トルコでは、老若男女みんなが口を揃えて「英雄」「ヒーロー」という方でした。
いったいどんな人物なのか気になったので、詳しく調べてみました(^_^)
トルコの英雄 宮崎 淳さんとは?
親日国トルコの英雄と言われる、宮崎淳さん。
トルコと日本、2つの国の絆を深めたと言われる宮崎さんとは、いったいどんな方なんでしょう。
東日本大震災でトルコの救援隊に感銘を受ける
2011年3月11日に発生した「東日本大震災」。
宮崎さんは当時41歳で、大分県庁の職員をしていました。
そこで見たのは、震災現場の最前線で救護活動をしていた、トルコの救援隊だったそうです。
宮崎さんは当時、「なぜ異国の地で、こんなにも献身的な活動を行えるのだろう」と思ったといいます。
半年後、宮崎さんは県庁を辞めて「難民を助ける会」に所属し、機会があればトルコへ恩返しをしたいと考えていました。
トルコで東部地震が発生
2011年10月にトルコで「トルコ東部地震」が発生しました。
この地震により約5000人が被災、死者は約600人に及びました。
「難民を助ける会」に所属していた宮崎さんは、トルコ派遣に志願し向かいました。
一番被害の酷かったヴァン市では建物の3割が倒壊し、ライフラインは全滅。
物資を奪い合う混乱状態だったそうです。
各国から救護隊が派遣されていましたが被害の大きさで苦戦し、取り残された状態だったのが整備されていなかった山間部でした。
そんな山間部に真っ先に向かったのが宮崎さん達でした。
トルコの人たちに圧縮されたパンツや靴下を手渡したりし、宮崎さん達の笑顔に救われた人も多かったそうです。
また、その時期はクルバンバイラム(犠牲祭)と呼ばれるイスラム教徒のお祭りの期間でした。
クルバンバイラム(犠牲祭)とは、信仰心の深いイスラム教徒が羊や牛を捧げ神に祈るお祭りで、クルバンと呼ばれる生贄用の羊や牛を家族で食べたり、ご近所や貧しい人へ施すお祭りです。
宮崎さんたちはこんな状況でありながらも、イスラム教徒の人々の気持ちに寄り添い、このクルバンを準備し振る舞いました。
この宗教を理解し尊重する心のこもった行為が地元メディアで報道され、トルコで宮崎さんを知らない人はいなかったと言います。
余震で帰らぬ人となった宮崎さん
さらに大きな余震が続く最前線で活動していた宮崎さん。
しかし、同年11月9日に発生した余震で彼が宿泊していたホテルが倒壊し、宮崎さんは瓦礫の下敷きとなってしまいます。
地元の消防隊が必死の救助活動を行いましたが、13時間後に瓦礫の下から宮崎さんが発見された時にはすでに心肺停止状態で、宮崎さんは41歳で帰らぬ人となりました。
メディアは大々的に報道し、宮崎さんは被災者たちのヒーローとなったのです。
2011年11月12日、宮崎さんの遺体は国葬級の扱いで日本へ搬送されました。
その際に当時の大統領、アブドラ・ギュル大統領も宮崎さんへ、自己犠牲の精神を称えた哀悼の手紙を読んだとのことです。
トルコの各地に宮崎さんの名前の施設や銅像が作られた
遠い国からトルコの人々を助けるためにやってきて亡くなった宮崎さんの活動はトルコの人々に広く知られるようになり、彼の精神を受け継ごうと中学校や歯科診療所、防災公園などに「Atsushi Miyazaki」の名前が次々と付けられているそうです。
宮崎さんの銅像もトルコ・コズル市他に建てられました。
トルコで有名な日本人・宮崎 淳さん まとめ
異国の地トルコで、トルコの人々のために献身的に行動した宮崎さん。
そんな宮崎さんの偉業に現地の方は「もし日本で同じことが起こったら、今度は自分が助けに行きたい」と話していました。
受けた恩に対して感謝の気持を忘れない、トルコの人々。
日本も、震災で他の国から受けた恩を忘れないようにしたいです。
宮崎さんの優しさと行動力が強めたトルコと日本の絆を、これからも大切にしていきたいですね(^_^)
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