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『地球征服』トルコで有名な山田寅次郎(山田宗有)は日本の誇り

『地球征服するなんて』世界で有名な日本人

2018年10月20日(土)22時10分~23時10分放送の『陸海空 地球征服するなんて

今回は、「トルコで一番有名な日本人は誰!?」です\(^o^)/

 

親日国として有名なトルコですが、その理由となった人物がランクインしているとか?

詳しく調べてみました!

 

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トルコで有名な日本人 TOP10!

ケバブトルコアイスなどのグルメで有名なトルコ

親日国としても知られていますよね(^O^)

 

そんなトルコで有名な日本人とは・・・

 

10位 山田寅次郎(偉人) 120年前、国交の礎を築いた

9位  小林尊(フードファイター)16票 6つの世界記録を持つ

8位  三宅一生(衣服デザイナー)22票 アパレル大国トルコが認めたデザイナー

7位  喜多郎(ミュージシャン)票 「シルクロード」で有名に

6位  宮崎淳(一般人)31票 現地で語り継がれる英雄 2011年トルコ東部の震災に

               あった時、助けてくれたヒーロー

5位  小林正貴(タレント)34票 現地10社のCMや人気テレビに出た人気タレント

4位  黒澤明(映画監督)票 日本で国民栄誉賞を受賞

3位  高野あゆ美(女優)59票 現地で20年愛される、若くして大人気国民的女優

2位  高橋陽一(漫画家)92票 現地で大人気の『キャプテン翼』の作者

                トルコではサッカーが国民的スポーツ

                アニメ放送時間は10分で毎日放送!

1位 長友佑都(サッカー選手)159票 日本人らしい真面目さが人気!

 

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トルコを助けた、山田寅次郎(山田宗有)とは?

トルコで有名な日本人。

調べてみると、トルコととても繋がりの深い人物の名前が上がりました!

 

その方は、山田 寅次郎(やまだとらじろう)。

山田寅次郎は、日本とトルコの交流に深く関わった人物として知られているんです。

 

どんな人物なのか、まとめてみました(^_^)

 

山田寅次郎とは?

寅次郎は、幕末の慶応2年(1866年)に上野沼田三万五千石の沼田藩用人・中村雄左衛門(莞爾)と島子の次男として、沼田藩の江戸上屋敷で生まれました。

大政奉還の2年前のことでした。

この中村家は、曽祖父の代から家老職を務めていた家系でした。

 

寅次郎は8歳まで沼田で生活し、維新後に上京します。

長子相続の武士の家にあっては、次男は冷や飯食いだったため、よい婿入りか養子の話は大事にされました。

小学校をおえると、寅次郎は英語・ドイツ語・フランス語などを学び、明治14年(1881年)に15歳になった寅次郎は、請われて宗徧流家元山田家に養子入りし、以降、山田姓を名乗ります。

宗徧流とは千利休(室町末期)の利休流の流れを汲み、利休の孫・宗旦による質素簡明を第一とした、真の侘び茶を現代に厳しく伝えるもので、宗徧(1627~1708)を祖とする茶の湯の流儀です。

宗徧は利休の簡素な真の「侘び茶」を宗旦から直に学び継承した江戸初期の偉大な茶人のひとりでした。

宗徧流は、寅次郎が生まれるより以前に6世家元の山田宗学が亡くなり、その妻が7世を継いで山田宗寿と称していましたが、宗学夫妻の間には後を継ぐ子がいなかったため、後継ぎとして寅次郎が迎え入れられたのでした。

 

しかし若き寅次郎は、すぐに茶道の家元としての仕事に打ち込んだわけではなく、明治16年(1883年)に家元宗寿が亡くなった後も家元を襲名せずに、茶道は高弟の中村宗知に任せていたそうです。

寅次郎自身は、進んで言論界に入って陸羯南、福地源一郎らと交流していました。

東京で書生として暮らしながら政治活動・出版事業に興味を持ち、文豪・幸田露伴の処女作を出版社の金港堂に売り込んだこともあったそうです!

(後に露伴は友人だった寅次郎をモデルにして、軍艦沈没事件を抜け目なく利用して名を売り、金を集め、日本との貿易事業を画策して海外へ渡った男の話を短編「書生商人」(明治25~26年)としてまとめています)

 

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エルトゥールル号の遭難事件

そんな寅次郎の人生を変えたのは、明治23年(1890年)に起こったエルトゥールル号の遭難事件でした。

 

1890年、日本とトルコの親善のためにトルコの戦艦エルトゥールル号が来日しました。

明治天皇に拝謁した後、日本からは嵐の危険性も含めて止められたにもかかわらず、9月15日に横浜港を出航したエルトゥールル号。

翌16日、エルトゥールル号は和歌山県大島樫野先付近で台風のため座礁し、乗船していたトルコ人650人全員が海に投げ出され、587人もの命が海に奪われました

生存者はわずか63人、うち8名が負傷、38名は重傷という大惨事でした。

大島村民は、村をあげて負傷者の救助にあたりました。

この時、台風により出漁できず食料の蓄えもわずかだったにも関わらず、村民は浴衣などの衣類、卵やサツマイモ、それに非常用のニワトリすら供出するなど、献身的に生存者たちの救護に努めたそうです。

 

その悲劇にいてもたってもいられなくなった当時24歳の寅次郎は、民間から義捐金を集めて犠牲者の遺族に寄付することを思い立ちます。

今でいう「民間ボランティア活動」ですね(^_^)

「チャリティーイベント」のように、演戯場で募金をう乗ったそうです

寅次郎は親交のあった日本新聞社の陸羯南に働きかけて募金運動を起こし、日本全国の各地で演説会を開きました。

1年でほぼ5000円(現在の価値で約1億円)の寄付金を集めた寅次郎は、当時の外務大臣・青木周蔵のもとを訪ね、

これをトルコに送り、遭難者遺族への慰霊金にしてほしい

と依頼しました。
ところが外務大臣は、

これだけの義捐金を集めた君自身が届けに行き、国交樹立の日のため、国情をよく見聞してほしい。

と、持参することを勧めたそうです。

これが寅次郎とトルコとのつながりへと発展していったのです!

 

トルコで貿易や日本語の先生をする寅次郎

それから2年後の明治25年(1892年)4月、26歳の寅次郎は全国から集まった義捐金を携えてオスマン帝国の首都イスタンブールに到着し、早速オスマン帝国外相を訪ねて義捐金を届けました。

これにより、彼が遠い日本から民間人でありながら義捐金を持って自らやって来たことが知れわたると、彼はイスタンブールの官民から熱烈な歓迎を受けました。

当時の皇帝・アブデュル・ハミト2世に拝謁する機会にも恵まれたそうです!

この時に彼が皇帝に献上した生家の中村家伝来の甲冑や大刀は、現在もトプカプ宮殿博物館に保存、展示されているんだそう。

 

アブドュル・ハミト2世はトルコは日本との修好および通商を年来希望しつつあるが、それには第一に双方がお互いの言葉を理解する必要があるとして、寅次郎にしばらくイスタンブールに滞在してオスマン帝国の陸海軍士官若干名に日本語を教えるよう要請します。

寅次郎は快諾し、陸軍士官六名と海軍将校一人に日本語を教えることとなりました。

この中の一人に、のちのトルコ建国の父となるケマル・アタチュルクがいました。

 

1894年(明治27年)6月30日付けで寅次郎が第百銀行の池田健三に宛てた書簡によると、寅次郎が滞在したのは1892年(明治25年)4月から数か月間

寅次郎は日本語を教えるだけでなく、日本とトルコの貿易振興にも奔走しました。

この頃、トルコではイスタンブールに商品陳列館というのを設けてトルコ製品、外国製品を見本として陳列しておき、その見本を見てトルコおよび各国の商品が注文を出す仕組みになっていたそうです。

寅次郎はオスマン商工会議所内に、自ら持参した日本の絹布(けんぷ)、漆器、茶、木工芸品その他多数の雑貨類を見本として陳列し、日本の工芸品を商う日本品販売所を開設できるよう準備をして帰国したとのことです

寅次郎が再来訪した1893年から1894年にかけて販売所を開き、その後、大阪の中村健次郎(商人・中村久兵衛弟)の出資を得て「中村商店」として開店したと推測されるそうです

トルコは農業国でこうした工業品、工芸品はヨーロッパからの輸入品ばかりだったため、寅次郎の日本商品は注目され、注文が殺到しました。

 

そのうちにトルコに愛着を覚え、イスタンブールに留まって事業を起こすことを決意した、と自伝では述べています。

明治29年(1896年)、一時帰国を経て再びイスタンブールにやって来た寅次郎は、イスタンブールの「中村商店」の現地支配人となり、日本との間での貿易事業を始め、以後、日本とトルコの間を何度か行き来しながら、イスタンブールに滞在しました。

1899年に一時帰国した時に大阪中村商店の経営者である中村久兵衛の娘・中村たみと結婚し、中村一族と血縁となった寅次郎。

子どももできましたが、妻子は大阪に置いたままで、日本に落ち着くことはほとんどなかったそうです。

 

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実業家としての活動

1914年(大正3年)に第1次世界大戦が始まると、トルコはドイツ側につき、日本はフランスとロシア側についたため、日本とトルコは準交戦国になってしまい、寅次郎は帰国。

当時、輸出のためオスマン帝国の領内で盛んに製造されるようになっていたタバコに目をつけた寅次郎は、紙巻タバコの洋紙を製造する製紙会社を経営する実業家への道を歩みだしたのです。

 

日本とトルコの国交は条件が折り合わなかったり戦争があったりしてなかなか進まず、第一次世界大戦の終結から6年たった1924年(大正13年)5月、日本はトルコ共和国と正式に国交を結びます

さらに翌年には、イスタンブールに正式に日本大使館が、東京にはトルコ大使館が開設されています。

この時期の寅次郎は中村商店の番頭を務めながら、日本から来訪する皇族、高官の人たちに対してオスマン帝国皇帝や政府要人との交渉の補佐、通訳、要人たちの視察の案内を快く引き受けて便宜をはかり、いわば日本の「民間大使」であったと言われることもあるそうです(^_^)

寅次郎は東京にトルコ大使館が開設されたこの年の秋、「大阪日土貿易協会」を立ち上げて理事長の職につくと、両国の貿易事業の実行にとりかかりました。

その一方でエルトゥールル号遭難の地の樫野の墓地に慰霊碑を建てるべく、募金集めに奔走しします。

こうして建立されたのが、昭和天皇が1929年(昭和4年)の行幸の折に参拝された慰霊碑です。

寅次郎は1957年(昭和32年)まで生き、91歳の天寿を全します。

寅次郎は、日本とトルコの架け橋になったかけがいのない民間人として、今でもトルコの人々に感謝されているのです。

 

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トルコで有名な山田寅次郎 まとめ

若干24歳という若さで、自分とは何のつながりもなかったトルコの人々のために全国で義捐金を集めるなんて、素晴らしく行動力のあった山田寅次郎。

寅次郎のおかげで、今でもトルコの方々は親日家なんですね!(^^)!

 

トルコには他にも気になる人物が(^O^)

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