地球制服!イギリスで有名な石原和幸は「緑の魔術師」とエリザベス女王が称賛!

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『陸海空 地球制服するなんて』イギリスで有名な石原和幸さんについてまとめています(^^)

 

2月2日放送の『陸海空 地球制服するなんて』は「イギリスで有名な日本人TOP10」

調べてみると、イギリスにはおのエリザベス女王が”緑の魔術師”と称した日本人がいるんです!

 

その日本人は、庭園デザイナー(ランドスケープアーティスト)の石原和幸さん。

 

石原和幸さんはなぜイギリスで有名なんでしょう?

詳しく調べてみました(^-^)

 

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庭園デザイナー・石原和幸と花との出会い

石原和幸さんは、1958年に長崎で生まれました。

久留米工業大学を卒業後、自動車販売会社「マツダオート長崎」に就職し、整備士となります。

 

一方、石原さんの実家の周辺では開発が進み酪農が難しくなりました。

そこで石原和幸さんの父親は、花の栽培に転向。

石原さんは家業を手伝うために花の扱い方を学ぼうと、華道家元「池坊」の教室に通うようになります。

 

花屋「風花」開店

花の魅力にとりつかれた石原和幸さんは、23歳の頃「人生これで行くんだ」と決意!

入社1年で会社を退職します。

路上販売の花屋に、無給で弟子入りした石原さん。

24歳で実家の牛小屋を改装して花屋「風花」を開店します。

しかし1982年の長崎大水害で全財産である軽トラックが流され、花畑も全滅する全壊してしまいます。

 

それでも石原さんは負けじと、バブル景気の最中に長崎市で自動販売機用の小さなスペースに店を出し、年間約1億円の売り上げを記録しました。

41歳の時、石原和幸さんのの成功を聞きつけた大手商社から、合弁会社設立のアプローチを受けます。

ところが売り上げは伸びず、8億円の負債を抱え、2年で会社をたたむことに。

 

「チェルシー・フラワー・ショー」への挑戦

資産を手放すなどして債務整理して長崎で原点に戻り、小さな店を再開。

知人の依頼で庭づくりをはじめた石原和幸さんは、華道のノウハウを生かし「花屋がつくる庭」のうたい文句で造園業に進出しました。

45歳の時、世界一権威のある庭と花のコンテスト「チェルシー・フラワー・ショー」の存在を知る

現地イギリスでレベルの高さを目の当たりにして衝撃を受け、挑戦を決意します。

「チェルシー・フラワー・ショー」では、イギリスでは珍しい苔など日本庭園の要素を取り入れた庭で注目を集め、エリザベス女王から「あなたは緑の魔術師ね」と称賛されました!(^^)!

 

石原和幸さんは、タイムズ紙命名の「Moss Man(苔男)」のニックネームを持っているそうです!(^^)!

 

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石原和幸の受賞歴・経歴

  • 2004年「チェルシー・フラワー・ショー」初挑戦。銀メダルに当たるシルバーギルトを受賞。
  • 2005年長崎市から特別表彰を受ける。
  • 2006年「チェルシー・フラワーショー」再挑戦で、初めてゴールドメダルを受賞。
  • 2007年「チェルシー・フラワーショー」で再びゴールドメダルを受賞。
  • 2008年「チェルシー・フラワーショー」で3年連続でゴールドメダルを受賞。
  • 2009年10月3日、東日本ハウスと業務提携を結び、同社モデルハウスのデザインや同社ガーデニングセミナーなど行う
  • 2011年「チェルシー・フラワーショー」で、作品の庭の前でエリザベス女王と談笑。その様子が英国BBCに報じられる
  • 2012年3月9日、羽田空港国内線 第1旅客ターミナル内の屋内庭園「花の楽園」(150m2)を手がける
  • 2012年3月頃、「花と緑の力で幸せな人を増やしたい」という石原氏の思いに共鳴した人々が、勝手連的組織「石原和幸サポーターズ」を発足、支援の取り組みを行っている。
  • 2016年、JR大阪駅北側の再開発エリア「うめきた2期」の庭園「うめきたガーデン」の2つの庭園や10万株の花畑をプロデュース(開園10月7日、運営は産経新聞社など)。
  • 2018年「チェルシー・フラワーショー」でゴールドメダルを受賞。 最高部門賞受賞。

 

 

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石原和幸の作品は?

 

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イギリスで有名な日本人TOP10

番組を見ながら追記しますね!(^^)!

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